嘉母神社
寺社・仏閣・霊場 2020.04.29
藩命を受けた竹内立左衛門は干拓事業の着手にあたり、加茂川下流の高洲(たかす)、現在の神社の位置に藩内祈願所六社の神主を招き、祠を建て、天神地祇(ちぎ)を勧請し、工事の完成を祈願したのが始まりという。祭神は、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)をはじめ穀物に関係する神々であるが、後に竹内立左衛門命(みこと)も合祀された。境内には禎瑞新田の碑、石臼の碑、客土記念碑、楠木奉納記念碑、御神幸創始記念碑、歴代神職霊社の碑、石川梅蔵宮司の句碑など、禎瑞の歴史を刻むものがたくさんある。
また、別子銅山中興の祖といわれる広瀬宰平(さいへい)翁の茶室も移築されており、南天の床柱などを持つ建物として、歴史的にも、建築的にも価値が高い。