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西山興隆寺

寺社・仏閣・霊場 2020.04.30

  真言宗醍醐派別格本山興隆寺は、別名を西山寺とも呼ばれ、桓武天皇の勅願寺となって以来、1,350年の歴史と伝統を有する、東予地方随一の霊地として信仰を集めてきた名刹(めいさつ)。
四季折々に味わい深い風情があり、多くの重要文化財を有し、年間を通じて参拝者が絶えない。特に、本堂、宝筺印塔、銅鐘は国指定文化財。また、通称“紅葉寺”といわれるように、、紅葉の頃は市内外から多くの観光客を集める。

【本堂】

現存の本堂は、文中4年(1375年)に再興されたもので、桁行5間、梁間6間の寄棟造(よせむねづくり)で、元来は茅葺であったが、昭和12年の修理の際に、銅板葺に改められたものである。
建築様式は和様に唐様の手法を取り入れたもので、室町時代の様式を良く伝えている。厨子(ずし)は唐様の一間厨子でしころ造、栩(とち)葺(厚さ9mm~3cm、幅9cm~15cm、長さ63cm以下の板で葺く)になっている。
巻斗(まきと)には、文中3年(1374年)2月の墨書がある。
棟札(むねふだ)は2枚あり、一つは文中4年(1375年)に再建されたことが書かれ、もう一つは寛文10年(1670年)に修理されたことが記されている。厨子、巻斗、棟札とあわせて、国指定文化財。

【宝筺印塔】

本堂右後方に建立されているこの塔は、寺伝によれば、源頼朝の供養塔という。二段の基壇上に立ち、総高305cmの花崗岩製。保存の状態がよく、基礎から相輪まで損傷の跡がなく、整った姿を保っている。
塔身正面に梵字が刻まれ、基礎正面の時代を表す格狭間(こうざま)の中央に蓮弁(れんべん)が浮き彫りされているのは珍しい。
塔の沿革についての確かな伝承はないが、全体の形式、技法から、南北朝時代のものといわれている。台石に嘉暦元年(1326年)の刻名がみえる。国指定文化財。

【銅鐘】

県内に3つある、国指定文化財の銅鐘のうちの一つ(他は、出石寺と石手寺にある)。総高112.1cm、口径68.2cmの鋳銅製。
銘文が池の間に陰刻されている。「伊予国道前分桑村郡 古田郷西山興隆寺鐘也 右所奉勧進十方諸人鋳如件 弘安九年丙戌(1286年)5月□日 勧進金剛仏子永賢 大工河内助安」 姿形が美しく、銘文の陰刻技法も優れていて、鎌倉時代の代表的梵鐘(ぼんしょう)の一つといわれる。石手寺の銅鐘の銘文には、建長3年(1251年)興隆寺のために作られたものであることが刻まれており、なんらか事情で、その鐘が興隆寺から石手寺に移されたとみられる。建長の鐘が移動して35年後の、弘安9年(1286年)に新しく作られたのが現在の興隆寺の鐘である。

 

〒791-0505 愛媛県西条市丹原町古田甲1657

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